リラックス

いいアイデアはリラックスしている時にしか出てこない。寝ることは好きだけれど、寝ていると何も感じられないし、考えられない。それに比べて、散歩はちょうどよくリラックスできているような気がする。じぶんは考えごとをする時、身体も動いていないと上手くいかない。かといって、ハードなトレーニングをするのも違う。寝て起きたら、いいアイデアが生まれていたというのが理想だけれど、そうもいかない。散歩しながらがちょうどいい。脳がいい感じにリラックスして、ぐちゃぐちゃになっていたものがカチッとはまる。どうすればできるのかも大事だけれど、そのためにリラックスすることが重要なんだと思う。ストレートがいいから変化球も打ちづらいし、変化球がいいからストレートも打ちづらい、みたいなこと。がんばる時とがんばらない時の振り幅を意識してみよう。

平等

男女差別とか男女平等とか、そういうのはなんか違うと思う。自分は、そもそも男と女は別のいきものだと思っている。おなじ人間ではあるけれど、まったく違う2種類のいきもの。だから、男だから、女だから、という理由で差がつくことは当然だと思っている。もちろん、あまりに理不尽な場合をのぞいてはだけど。それに、男と女だと圧倒的に女のほうがつよいと思う。だから、もし男と女がなにもかも平等な世の中になったとしたら、男は生きていけない気がする。ながい目で見ると、男だけ滅ぶんじゃないかと思うくらいだ。そういう意味では、今くらいでちょうど平等にバランスがとれているように思う。平等なんてものにこだわる必要はない、と思うけれど、それで苦しんできた人もたくさんいるだろうし、じぶんは昔を知らないからそう思うんだろうな。

足りないもの

イデアが生まれるきっかけは、不便なことや満たされていないことだと思う。とおくに行きたかった。ラクに行きたかった。歩いて行くのは大変だった。だから、自動車が生まれた。夜は暗くてなにも見えなかった。火をつけるのは危なかった。だから、電気が生まれた。話をしたかった。いっしょにいられなくても、話したかった。会いに行くしかなかった。だから、電話が生まれた。そうやって、ひとつずつ便利になって人は満たされてきた。むかしと比べると、いまは不便なことなんてほとんど無くて、満たされているはずだ。だけど、それでも満たされていない人がたくさんいる。なんでもあるけど、なんでもあるから、なにが足りなくて満たされていないのかが自分でわからないんじゃないかなぁ。なにも持っていないところからのスタートと、なんでも揃っている状態からのスタート、どっちがたのしいかな。ゲームだったら間違いなく前者だけど、人のいのちはどっちだろうな。

姫と呼ばれる存在は、たぶん男か女でいうと女で、オスかメスかでいうとメスだと思う。わりと使われる一文字で、たとえば歌唱力のあるきれいな女性を歌姫なんて呼んだりもする。そのグループのなかで美しい女性やメスであることを、姫とつけるだけで表現できてしまう。それが辞書にのっていない言葉でも、もののけ姫みたいな斬新な使いかたでも、その存在は美しく魅力的なんだろうとわかる。それくらい、この姫という言葉が持つイメージは強い。もちろん、人によって違うだろうけれど、◯◯姫と呼べる存在はやっぱり特別に感じる。世の中にはじぶんが想像もできないような姫がたくさんいるだろう。虫だったり動物だったり、人だったり。じぶんはまだ◯◯姫と呼ばれる人には出会ったことはないなぁ。いつか、会えるかな。

多数

大きい流れは数の力によるものが多いんじゃないかと思う。カンタンに言うと、多数決というやつだ。立場がうえの人間次第というときもあるけれど、世界のおおまかなルールは多数派の考えでできたものだと思う。極端な話、すべての人が人を殺してもいいと思っているなら、人を殺したって誰も罪に問われないはずだ。そもそも人を殺してはいけないなんてルールができるはずがない。人を殺すと罪になるのは、人を殺してはいけないと思っている人のほうが多いから、というだけのことだと思う。

 個人的に、歴史というのもそうやって形取られたものだと思っている。誰も見たことも会ったこともないのに何百年・何千年前の人や出来事を知ることなんてできないと自分は思う。それなのに誰もが学校で先生に又聞きの歴史を教えられて、それをなんの根拠もなく信じている。だから歴史はそういうものとして定着している。もちろんすべてが作り話だとは思っていない。それが真実かどうかなんてどうだっていいんだけれど、ただそう思っている人が多いというだけで、この世界ではそれが正しいことになってしまうということだ。大事なのは、それが正しいかどうかじゃなくて、自分自身がなにを正しいこととして信じるかだと思う。それが、世間と異なる場合、生きづらかったりするかもしれないけれど、ただ多数派に混ざるだけというのは違うんじゃないかな。

 今まで「歴史が正しいかどうかは誰にも証明できない、誰も直接その場に居合わせたわけじゃないんだから」と何人かに話したことがあるけれど、共感してくれる人はひとりもいなかったなぁ。

時間割

朝起きる時間が遅いと、1日が短く感じられる。その分もっともっとという気持ちがあって、夜遅くまで何かをしてしまう。そうやって時間がずれ込んでいって、1日がダラダラとしたものになってしまったり、やるべきことが捗らなくなっていく。徹夜でやるよりも早朝からやったほうが効率はいいらしいし、実際そう感じる。1日は午前中で決まるといっても過言じゃないと思う。それに、なんとなく朝の空気を吸うことは人にとって大事なことのような気がする。早起きは三文の得というけれど、昼まで寝てるよりはいいんじゃないかな。得かどうかはわからないけれど、悪いものではないと思う。気にならない人はそれでいいと思うけれど、自分はあまりいいとは思っていない。ただ、それが行動にあらわれるかは、また別の話。

今年も梅雨の時期がきた。時代が進むにつれて色々なものが進化して便利になってきたけれど、傘は昔からわりと変わっていない。どうやって持っても、足下は濡れるし手がふさがるというのもあって、不便に感じているのは自分だけじゃないと思う。これだけ色々なことができるような時代になっても大きく変化せず、かといってなくなるわけでもなくずっと残っている。雨の日、濡れたくはないし傘は不便だけれど、ここまで残ったら傘はずっと残っていてほしいと思う。自分はアナログ好きで、あまりこれ以上便利な世の中になってほしくないと思っているし、傘にあたる雨の音もきらいじゃない。これから先、傘に変わるものが生まれても、自分は傘をつかいたい日が少なからずあると思う。自分だけかもしれないけれど、雨の日を楽しく感じるときには傘がないとダメな気がする。人それぞれだろうけれど、変わらず残っているのにはやっぱり理由があるんだろうな。