多数

大きい流れは数の力によるものが多いんじゃないかと思う。カンタンに言うと、多数決というやつだ。立場がうえの人間次第というときもあるけれど、世界のおおまかなルールは多数派の考えでできたものだと思う。極端な話、すべての人が人を殺してもいいと思っているなら、人を殺したって誰も罪に問われないはずだ。そもそも人を殺してはいけないなんてルールができるはずがない。人を殺すと罪になるのは、人を殺してはいけないと思っている人のほうが多いから、というだけのことだと思う。

 個人的に、歴史というのもそうやって形取られたものだと思っている。誰も見たことも会ったこともないのに何百年・何千年前の人や出来事を知ることなんてできないと自分は思う。それなのに誰もが学校で先生に又聞きの歴史を教えられて、それをなんの根拠もなく信じている。だから歴史はそういうものとして定着している。もちろんすべてが作り話だとは思っていない。それが真実かどうかなんてどうだっていいんだけれど、ただそう思っている人が多いというだけで、この世界ではそれが正しいことになってしまうということだ。大事なのは、それが正しいかどうかじゃなくて、自分自身がなにを正しいこととして信じるかだと思う。それが、世間と異なる場合、生きづらかったりするかもしれないけれど、ただ多数派に混ざるだけというのは違うんじゃないかな。

 今まで「歴史が正しいかどうかは誰にも証明できない、誰も直接その場に居合わせたわけじゃないんだから」と何人かに話したことがあるけれど、共感してくれる人はひとりもいなかったなぁ。