水は可能性に満ちている。火を消せるし、勢い次第でカッターになったり、溜めれば重しにもなれたり。色もなく、形もなく、熱くも冷たくもなれる。人間の体は60%くらいが水分らしいけれど、どちらかと言うと誰もが水分じゃなくてその入れ物の部分を人間と呼んでいる気がする。感覚や感情が付属した入れ物。そう考えると人って体の中の水の可能性を最大限に引き出せてないんじゃないのか、なんて意味不明なことを突然考えた。自分は水の無限の可能性を奪ってまでも維持する価値のある命を持っているのか、と川を流れる水の音を聴きながら。そうしたらいつの間にかちょっと癒されてて、そういう音や色を感じられる人間の部分ってすごくいいなと思ったその瞬間、間違いなく自分は人間で、もう少し自分にも可能性があるのかもしれないと思った。