機嫌

嫌という字には、なんとなくイヤなイメージがある。言葉として良い意味でつかわれることが少ないから、それは当然なのかもしれない。でも個人的に、機嫌という単語にはそんなに悪いイメージを持っていない。機嫌が良い、機嫌が悪い、どちらにもつかわれるのに、なぜだろう、そんなにイヤじゃない。個人差があるものだけれど、文字を見て浮かぶ景色だったり、人や色、匂い、音といったものがあると思う。「疲」だったら、いつも疲れている人は自分のことを思うかもしれないし、疲れていない人はあの人いつも疲れてるなぁとか他人のことを思うかもしれない。機嫌という良くも悪くもつかえる言葉に対して悪いイメージを持っていないということは、たぶん機嫌の良い言葉を見たり、聞いたり、機嫌の良い人に出会ったりしてきた回数のほうが自分は多かったのだろう。それは本当に個人差があることで、自分にとってはあまり実感できないけれど幸福なことなんだと思う。大げさなことじゃなくて、当たり前にそうであるということが。いつも機嫌が良いなんてないから、これから死ぬまで機嫌が悪い時間よりも機嫌が良い時間のほうがちょっとでも長ければいいな。