適応

夜中にコンビニに行っていちばん下の段のパンを買おうとしたら、棚の下からけっこう大きめのムカデが出てきた。びっくりして、逃げながら横を見ると大きい蛾がいてさらにびっくりした。なんというか虫だらけで、まだだけど夏だなぁと思った。種類に関係なく虫はきらいで、そういう意味では夏は好きじゃないけれど、冬の寒さも好きではない。子どもの頃は寒さなんてほとんど気にならなかったのに、最近は本当に耐えられなくなってきた。人間は環境に適応していくものだけれど、夏の暑さと冬の寒さにはどうも慣れない。日本の魅力は季節の変化によるそれぞれの景色なのかもしれないけれど、その変化は生活するには過酷なことでもある。寒いなら寒い、暑いなら暑い、と一貫していればそれに慣れていくのだろうけれど、慣れる前に次が来てしまう。日本人は寒さや暑さに少しづつ慣れていくのではなく、少しづつ狂わされていっているのかもしれない。

待ち時間

エレベーターとか電車とかカップラーメンとか、まぁ何でもいいんだけれど、待ち時間は大切だ。信号なんて止まるたびにため息が出るけど、そういった世の中の待ち時間がすべてなかったとしたら、とんでもなくしんどい人生になる。電話をかけて相手が出るまでの数秒も、メールを送ってから返信が来るまでの時間も、商品を手にとりレジに並んで待っている時間も、場合によってはもどかしくもあるけれど、その少しの待ち時間がリラックスできたり緊張できたりする重要な時間で、それが1日に何回もあるからちゃんと自分を保っていられるんだと思う。それらがすべてなくなったとしたなら、自分は精神的にまともな状態でいられる自信がない。やっぱり、待ち時間は人には必要なんだと思う。自分は人を待つ時間がきらいじゃない。人によっては、少しくらい待たせてあげたほうがいいのかもしれない。

感情

あまり人と関わるのが得意じゃないし、今まで何も積み重ねてこなかったから人によく思われているとは思えない。だから色々なことで周りに期待しなくなった。どうせ嫌われてるし、どうせ信用されてないし、そんな風に何重にも予防線をはって期待を裏切られることがないように思い込んできた。そのせいで心が鈍くなってきている感覚はあったけれど、不意に言われた信用してるという言葉が素直に嬉しかった。誰かに何かを言われて心が動いたのが久しぶりな気がする。本当に感情を失ってしまいそうなくらいにまで心が鈍くなってたけど、まだなんとか大丈夫なのかもしれない。どうなっても、やっぱり近くにいる人は自分にとって特別な存在なんだと少しだけ思えた。

タバコ

タバコを吸わないから喫煙者の気持ちはわからないけれど、車から吸い殻を捨てるのだけは本当に止めろと思う。喫煙者全員がそうではないだろうけれど、捨てる前提で吸ってる気がしてイラっとする。バイクで走ってるときに、前を走っている車からタバコの吸い殻が飛び出してくると、そのまま拾って投げ入れてやろうかと思う。もしひとつだけ法律をつくれるとしたなら、タバコの吸い殻を捨てた奴にそこそこ重い刑を与えてやりたい。タバコだけはどれだけ税金がかかってもいい。タバコはきらいだ。

マンション

いつの間にかいつも通ってた道にあったマンションがなくなってたり、よくテレビで見かけたお笑い芸人を見かけなくなったり、気づいたら生活からなくなっているものがある。新しいマンションや新しい芸人にはすぐ気がつくのに、なくなったことにはだいぶ時間が経ってから気づくことが多い。これはいつも見ているものには飽きているということなのか。いや、いつもの風景だって、ひとつひとつをちゃんと見ているわけでもないのに、飽きるというのもおかしい。つまり、興味がないということか。人間は新しいもの好きだとは思ってたけど、なくなったものにあまり何も感じていない自分がなぜかちょっと寂しい。

整理

部屋を整理しているとなかなか片付かなくて、ぜんぶ捨てたほうが早いなと思ってしまう。最近、部屋に物がないことに快感を覚えるようになってきて、もともと物が少ないほうだと思うけれど、さらに物が減ってきた。マンガもだいぶ減ったし、読んだ本も押入れにいれたし、使わない物はほぼ処分した。本はどうしてもかさばるからある程度は仕方ないけれど、できれば何もないくらいにしたい。部屋の状況と心は少なからず連動しているような気がしていて、部屋を片付けることで何か気持ちが変わるんじゃないかと考えている。実際どうなのか知らないけれど、片付けてなんかすっきりした。

残り時間

人生が長いか短いかは人それぞれの感じ方だけど、確実に残り時間が減っていくということには誰もが納得すると思う。別に、人生とかそんな大げさじゃなくてもなんでもいい。今日だってすこしづつ終わっていくし、面倒な会議の時間も、好きな人と話せる時間も確実に減っていく。その減っていく感覚はふだん意識しづらいもので、極端にいうとほとんどの人は命が無限に続くかのような感覚で生きているんじゃないのかなと思う。人に時間を意識させてくれる時計は、針が進むけれど、1周回ってまた同じところに戻ってくる。何度でも。太陽も沈んだってまた昇る。何度でも。そうやって時間を感じているからそれがずっと続くと思ってしまう。だから、ふと砂時計ってすごいなと思った。あんなにわかりやすく減っていくことが可視化されているものは他にないんじゃないか。それに、時間は減っていくけどその分ちゃんと何かが自分のなかに積み重なっていってるように思えて、すごくいい。一般的な短針と長針が動く時計じゃなく、砂時計のような時間の捉え方ができれば、人はもっと一瞬一瞬を大切にできるのかもしれない。